忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

はずです

子供の頃、食べ物を粗末にすると怒られたものでした。
 僕は好き嫌いのない子供でしたので、食べ残しで怒られる、ということはありませんでしたが、違ったことで怒られたのを今でも思い出します。
 米櫃に入れるまで床に仮置きしたお米の入ったビニールを跨いだだけでも、母や祖父に怒られました。
 お米を粗末にすると目がつぶれる、というのが、母や祖父の怒り文句でした。
 跨いだだけでお米そのものを粗末にするつもりはありませんでしたが、怒られた直後はお米の入ったビニールに近寄ろうとはしなかったものです。
 もちろん他の食べ物の扱い方についても注意はされましたが、怒られると言うことはありませんでした。
 だからでしょう、スーパーでビニールに入ったお米を買うときは、赤子を抱くような感じでレジへ運びます。
 お米だけが特別な存在のように見え、手荒い扱い方をすると罰が当たりそうな気がするのです。
 最近、食料品を扱ったお店のアルバイト店員が、人様の口に入る食材を粗末に扱っている写真をニュースやインターネットで見聞きします。
 この件についてさまざまな意見や反応も同時に見聞きするのですが、食べ物がもったいない、という言葉を少なからず僕は見聞きしていません。
 さすがに、食べ物を粗末にすると罰が当たる、というのは今の子供へは通用しない怒り文句でしょうが、しかし、食べ物を粗末にしたアルバイト店員の行為やそれに対する意見や反応を見ていて、食べ物を畏れる意識は時代的に薄くなっているのかな、と少しばかり不安を覚えています。
 今は飽食の時代であり、語弊を招くことを恐れずに言えば、例え食べ残しをしてもお腹が空けば別の食べ物がテーブルに並べられるわけですから、僕にとってお米は特別な存在のように見えるように、食べ物がそれと同じように見ることは難しいでしょう。
 食べ物を畏れる気持ち、をそんな時代の中で要求するのは不可能でしょうが、自分たちと食べ物の関係を見つめ直す機会が必要な気がします。
 食材を粗末に扱う行為は、それを作った農家の方や酪農家の方をも悲しませる結果にもなる、というのは難しく考えなくても分かります。
 食育と言う言葉が社会的に話題となりましたが、自分たちと食べ物の関係を教える教育、といった新しい食育が生まれるのを待ちわびているのは、お米に対して畏れる気持ちが消えない僕だけではない――はずです。
PR

「僕」

今年の大河ドラマ『八重の桜』も前半が終了した。前半を振り返ってみて、ひとつ気になったことがあるので記してみたい。それは、人称代名詞「僕(ぼく)」についてである。
storage unit
 この「僕(ぼく)」という代名詞であるが、古いようで新しい。一般に使われ始めたのは明治以降のことである。だから、それ以前を描く時代劇で、「僕(ぼく)」という人称代名詞を聞くことは殆どない。大抵は「拙者」とか「それがし」である。しかし、時代は下って幕末の頃になると、自分自身のことを「僕(ぼく)」と表現する輩が俄然登場するようになる。その殆どが長州藩士達である。今年の大河ドラマ『八重の桜』でも吉田松陰は己のことを「僕(ぼく)」と言っていた。久坂玄瑞も「僕(ぼく)」と言っていた。『龍馬伝』でも高杉晋作は「僕(ぼく)」と言っていた。桂小五郎も「僕(ぼく)」と言っていた。
 吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作・・・
 これらの名を聞いてピンとこられる方は多いであろう。いずれも「松下村塾」にゆかりの人物である。つまり、一人称「僕」の普及は、吉田松陰が開いた私塾「松下村塾」に由来するらしいことが分かる。その吉田松陰という人物であるが、当時としてはかなり奇抜な男であったらしい。松下村塾へは昼夜を問わず誰でも出入り自由で、早朝であろうが深夜であろうが、生徒が望めば寝る間を惜しんで講義したというからすごい。24時間オープンだから遅刻も早退もない、妙な学校である。
長州
 その妙な学校で、吉田松陰は自らを「僕(ぼく)」と呼んでいた。「僕」とは下僕(しもべ)を意味する「僕」である。「何故、僕なのか?」それには彼の思想の根底にある「一君万民論」が影響している。一君万民とは、ただ一人の君主のみに権威を認め、その下で生きる人民は、身分や貴賎によって差別されないとする思想である。要するに、天皇の下では武士も農民も商人も共に下僕(しもべ)に過ぎないと言うことらしい。この思想に感化された塾生たちは、松蔭を真似て盛んに「僕」と言うようになった。craft storage
 松下村塾の真骨頂である活発な議論は、一人称を「僕」と呼ぶことで始まったと私は考えている。何故ならば、下級武士の某かが意見を述べたとき、上級武士の者が「拙者はそうは思わぬ」とか言っていては、身分の低い者が萎縮して議論には発展しないからである。教室の一人ひとりが「僕」と呼ぶことで、身分の垣根が取れて自由活発な意見が交わされる。あくまでも自論である。
 この様な風土の中で育まれた明治維新の志士達が、やがて、近代日本の担い手を育てる為の学校制度を定めた時、「僕」の効用も、学校とともに全国に波及していったとしても不思議には思わない。そして、教育が行き届いた時、明治の日本は『坂の上の雲』に描かれるように、目覚しい発展を遂げる。新時代を生きる明治の青年たちが成し遂げた近代国家の礎は、このような、新しき時代の身分を越えた自由活発な「僕」の思想が根底にあったからだと私は思う。
htc phone covers

明治時代に見出された

「あべこべ」という意味をあらわす英単語に"topsy-turvydom" というのがある。
最近は、あまり使わなくなった言葉のようだ。
明治時代になって日本を訪れた西洋人は、
よくまあ、ここまで逆さまなものがあるもんだと思うぐらいだったようで、
この言葉が結構な流行語となったという。
西洋と「あべこべ」というもので、よく知られたもの挙げれば、
「手招きのジェスチャー」「指折りでの数え方」
「がんばれ!とTake it easy!(気楽にやろうぜ)」などがある。
storage unit
こういった生活習慣の事だったら「面白い」で済むが、
法律的な点で「あべこべ」であると、少しばかり話がややこしい。
まず、課税に関して言えば、日本では「属地主義」を取っている。
日本人であっても国外に住めば日本の税金の対象とはならない。
アメリカの場合「属人主義」だから、アメリカ人をやめない限り、
国外に出てもアメリカの課税対象者となる。
これが、国籍の考え方は、逆。
日本の場合「属人主義」となり、アメリカでは「属地主義」。
日本の場合、いくら日本で生まれようが日本人でなければ日本国籍とはならないが、
アメリカで生まれると、その地に属して生まれたのだからアメリカ国籍となる。
これで問題が生じる。
たとえば、日本国内では「実家に帰らせていただきます」
と子供を連れて妻が出て行ってしまうということは、よくある話。
craft storage
その後の裁判では、たいてい母親側が親権を取り、夫が子供の養育費を払う。
だが、これが欧米に住む日本人ではそういうわけにはいかない。
アメリカで生まれた以上、アメリカの子供。
自身の子であっても連れ帰ると「拉致」と同じ扱いとなり、犯罪者となってしまう。
また、欧米では、収入の高い夫が親権を取る判例が多い。
いろんな面で「あべこべ」。
そのため、妻が日本人の場合、子供を残して一人で帰って来なければならないことになる。
ただし、これはハーグ条約での取り決め。
今の所、日本は批准していないので、連れ帰っている例が多い。
ハーグ条約に関して言えば、国会で決議され、これから批准されることに方向は決まっている。
ただ、「属人主義」と「属地主義」という、根本から逆。
明治時代に見出された「"topsy-turvydom" (あべこべ)」は、
遠い日の出来事ではなく、
思わぬところで現在に至るまで脈々と続いている。
*2カ所のブログランキングに参加しています。
↓↓下のアイコンにポチッとお願いします。押すとランキングのページに行きます。お手間ですが戻ってきて、もう一つ下のアイコン(にほんブログ村)にもポチッとして頂ければ、、。htc phone covers

演劇などを見て、

「50円で海外旅行をする方法」
というラジオCM が流れていたのは1970年初頭の事だった。
その後に続く言葉は、
「40円でアルバイト情報(誌) を買い、アルバイトを選んで10円で電話をかける」
そこで稼いで海外旅行に行こう、というもの。
ナイスなCM だった。

それまでの時代は、アルバイトをする学生を「苦学生」という
なんともカタ苦しい表現があったが、
70年代以降は、学生アルバイトは、すっかりとイメージを変えた。

アルバイトを紹介する雑誌は、学生の必須アイテムとなり、
さしあたって必要がなくても手にしているものだった。
いしいひさいち氏の出世作『Oh!バイト君』は、
その一つ「アルバイト情報」誌に掲載され、
ドジなバイト生を描いた4コマ漫画は、格段に面白かった。

それまでイデオロギーに縛られていた学生を
自由な世界へと駆り立て、
アルバイト代が、若者文化のよき軍資金になった。

軍資金の使途は、
地下映画劇場で3本立て300円程度の映画を見たり、
ジャズ喫茶でタバコをくゆらし、
ワザワザ出掛けて、サブカルチャーの演劇などを見て、
呑みながら議論する。

そんな”サブカルチャー”のイベントを知らせる情報誌の一つが
「プレイガイドジャーナル」誌であった。
発行が1971年。版型がB6判サイズのいわゆるミニコミ紙。
書店で手に入れるというより、
映画館の入り口やジャズ喫茶などに置かれていて、手作り感が一杯だった。

そんな情報誌だったが『ぴあ』などに押され、いつの間にか見なくなった。

この「プレイガイドジャーナル」誌は、
「日本で最初の情報誌」ともいわれたが、モデルは、
パリの情報誌「パリスコープ(Pariscope)」だったようだ。
パリではよく知られた存在。こちらもその版型はB6判。



パリスコープは、ウェブに変わったが、
様々なカルチャーを紹介する貴重なページとして存在している。


さすがに、その頃は「50円で海外旅行」は出来なかったが、
今は夢ではなく、海外旅行は簡単に行く事が出来る時代になった。

あれから、
時代は大きく変わって行った、、。

詩卷長留天地,人往千秋酒不空
幸福是心靈的感覺
像是故人來
一場雨過後的感想
來自夏天的約會
做最幸福的女人
寫給我這17年的青春
生命中的過客
歲月過後的記憶
回想起以前

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

P R